聖書の人物

エバ

その名は「生命」
 エバは創世記第2章に出てきます。アダムがエデンの園に一人でいたとき、神様は「人が独りでいるのはよくない。彼に合う助ける者を造ろう」(2:18)と言って、アダムのあばら骨の一部をとって、エバ(ヘブライ語でハッヴァー。生命という意味)を造られました。アダムにとってそれは歓喜となりました。それまで「人は、あらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった」(創2:20)からです。

男から女が生まれたという聖書の記述を根拠に、男尊女卑の根源はここにある!という誤った解釈がありますが、エバはアダムに劣るものでもなければ派生的な存在でもありません。エバによって人の創造は完成しました。「人が独りでいるのは良くない」のです。ですから、人は関わりの中で生きる存在である、というのが聖書の人間観です。神様は人間の生の共同性を重んじ、人と人が互いに助け合い、支え合って生きることを望んでおられます(ヨハネ15:17、ロマ12:10、その他多数)。

失楽園
 エバの創造の直後、第3章には彼女が蛇の誘惑によって神様との契約を破り、果実(いちじく?創3:7)を食べてしまったとあります。ヘビはこの物語において誘惑という配役を与えられています。エバは果実をアダムに渡します。この時、アダムはエバの行いを戒めるべきでした。しかし彼は一緒に食べてしまい、しかも神様に果実を食べたことを問われると、それをエバのせいにします(!)。アダムの告発の言葉を聞いてエバはどう思ったでしょうか。

創世記は、人を神様から引き離す誘惑について語り、それと同時に誘惑に弱い人間の現実を語っています(神のようになれる!という誘惑)。エバの問題は、神の言葉に付け足して、意味を変えてしまったことです(「触れてもいけない」と神様は言っていない3:3)。こうして聖書は神に背く人間の罪の現実を描き、そして自己中心に生きる人間を捜す神を描いています(「どこにいるのか」3:9)。

二人は楽園を追われました。神様の言葉に背いた事実に差はありません。そして神様は二人に「皮の衣」(=耐久性のある覆い。神の守り)を着せました。神様からの祝福(1:28)は消えてなくなったわけではないのです。エバはこの後カイン、アベル、セトを産むことになります。


「アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである」(3:20)